有言実行(言ってからやる、の意)のワケ。
こんばんは。
今回は、日頃の自分の言動についてお話します。
大風呂敷
ぼくは事あるごとに自分を「天才」だの「特別」だのなんだのとぶち上げます。
当然、周囲の僕に対する目は厳しくなりますし、ハードルも高くなります。
なぜ、ぼくはわざわざそんな事を言うのでしょうか?謙遜しないのはなぜ?
それについて、どこかにきちんと書いておきたいと思ったので今日書きました。
生育歴
元来、ぼくは甘ったれな性格です。
すぐに諦めるし、誰かに代わりにやってもらおうとします。
一人でも多く頼れそうな人を見つけて、世渡りだけでごまかそうとしがちな弱い人間です。
ところが、父(未診断)も母(ASD、ADHD診断済み)も発達障害の傾向が強いややこしい家庭で育ったので、
たまたま長子かつ知的に早熟だったぼくは、父の実兄や学歴に対するコンプレックスを押し付けられてしまったんですね。
そして、父方の親戚たちの前では聞き分けよく賢い素振りを見せつけることが常に強く要求されていました。
反動で思春期以降、ものすごく暗い人生を送る事になるのですが、その話はまたの機会に…。
とにかく、長年の癖で他人と付き合う時にはそういった振る舞いをする事をすっかり覚えてしまったわけです。
意外な副産物
もっとも、その癖も悪いことばかりではありません。
副産物の最たるものとして、自らを追い込み言い訳が許されない状況で結果を出すことを覚えました。
人間は思った通りにいかなかった時、ああだこうだと言い訳をして自己を正当化したがります。
馬券が外れたときでも、対戦ゲームで負けた時でも、
「ああすれば当たっていた」だの「パソコンの性能が悪い」だの…
次々と息を吐くように言い訳が出てきます。
でも、よくよく見るといつまで経っても改善しようとしない人がほとんどなんですね。
うすうすは"自分の知識や実力が足りなかった"と気づいていても、向き合えずに何らかの逃げ道を作っている。
少なくとも僕の目から見ると、彼らの姿はそういう風に映りました。
ぼくももともと言い訳が多かったのですが、大口を叩いてばかりのぼくには周りの人間たちがそれを許しませんでした。
なので、バッシングから逃れるために言い訳になりうる要素を全て排除して、
"これでダメだったら自分の力不足"という状況に追い込んで挑むしかなかったのです。
いわゆる背水の陣を敷いて腹を括った人間と、いつも逃げ口を用意している人間の差には凄まじいものがあります。
当然、それなりの結果はついてきました。(本物の天才たちには勝てなかったけど…)
ぼくはそうやって、たくさんの困難に打ち克つ生き方を会得し、今日まで生き延びてこれたのだと思います。
もう大人になったぼくは親の顔色を伺う必要もなく、おとなしくしている事もできるのですが、
自分の人生を実りあるものにするために、あえてかりそめの「天才」の仮面をかぶり続けているのです。
内心では、"確かに平凡ではないが、それほど特別ではない程度"と己を評価しているのはここだけの話にして頂けると幸いです。笑